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2026.03.13
集団のマッピングと個人の解読:予防医療のためのコホート設計
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千々岩樹佳 著

アブダビで開催された初のHPP Global 2026カンファレンスは、医療研究におけるパラダイムシフトを示しました。それは、「スケール(規模)」は単なる参加者数ではなく、集団としての広がりと深い生物学的解像度が交わるところで定義されるようになっています。.

長年にわたり、一般化可能な疫学的知見を得るために必要な統計的検出力を確保する方法として、参加者数を最大化することが重視されてきました。しかし今回の議論では、現在「スケール」は多次元的な概念へと変化していることが明らかになりました。

この変化は、従来の“ゴールドスタンダード”とされる臨床検査では、個人の数年先の健康アウトカムを予測できないという重要な認識によって進んでいます。従来のスナップショット型の検査では、健康状態から疾患へ移行する初期の兆候を見逃してしまうことが少なくない一方で、詳細な深い生物学データを用いて学習された新しいAIモデルは、個人ごとの「生物学的ベースライン」を確立することで、このギャップを埋め始めています。

健康の推移を統計的平均ではなく、個人自身の生物学的な基準に照らして評価することが、対症的な治療から能動的な予防へ移行するうえで不可欠になっています。私たちは現在、科学的発見の目的に応じてそれぞれ最適化された、2つの異なる、しかし相互に補完し合うコホート設計への分化が見られます。

人口規模コホート:一般化可能なリスクの特定

現在目立つプロジェクトは、超大規模な人口規模コホートです。英国のOur Future Health(500万人の参加者を目標)や、中国のCHAI (China Healthy Aging Investigation)(約970万人のデータを扱うプロジェクト)1といった取り組みは既存の医療システムと統合された長期的な国家的健康資源として機能しています。

ここでの主要な設計原則は「広さ」であり、多様な集団における稀な遺伝的変異や微細な生活習慣の変化を見つけるために必要な統計的検出力を得るには、参加者数の最大化が不可欠です。これらの研究ではコストを抑えるために「軽度のフェノタイピング(light phenotyping)」が用いられます。主にDNA検体、アンケート、電子健康記録(EHR)との直接連携を利用します。英国では国民保健サービス(NHS:National Health Service)を通じて、数十年にわたる医療履歴を遡って分析することも可能となっています。

予測価値

このタイプのコホートは統計的検出力を目的として設計されています。一般的な疾患に関連する希少な遺伝的変異や微細な生活習慣要因を特定するのに優れています。またその規模により、特定の民族的マイノリティや希少疾患集団など、小規模研究では見落とされるサブグループを調査することができます。

ここで得られる主な成果は「一般的なリスク」です。関連する課題の一例として、別の登壇者であるCarlos Bustamante氏は、この一般化の可能性を過大評価することに注意を促しました。過去のゲノムデータはヨーロッパ系祖先に大きく偏っているため、既存のモデルはそれらの集団に対して高い効果を示す一方で、東アジア系やアフリカ系の人種への適用精度が大きく低下する可能性と指摘しました2。2

深層フェノタイピングコホート:生物学の物語を追跡

人口規模コホートが「誰に注目するか」を扱う一方で、深層フェノタイピングコホートは「どのように」「いつ変化するか」に焦点を当てます。Human Phenotype Project(HPP)やデンマークのDELPHIなどを含むこれらの研究は、単なる参加者数の多さよりも、生物学的解像度を優先します。参加者数は通常1万〜10万人程度と比較的小規模ですが、1人あたりのデータ量は非常に膨大です。

参加者はプロテオミクスやマイクロバイオーム解析などを含む、数十種類のデータモダリティによる評価を受け、従来の「スナップショット型医療」の限界を超えることを目指します。従来の検査では、診療所で行われる単一の検査結果が、旅行疲れなどの一時的な要因によって容易に歪むことがあります。深層フェノタイピングは、継続的データを用いて「実際に送られているありのままの生活」を捉えることで、この問題を避けます。これにより、一時的な変動ではなく、その人の真のベースラインを捉えることができます。

予測価値

このモデルの強みは「個人の健康推移」を捉えられる点にあります。データが縦断的かつ高解像度であるため、症状が現れる前の変化を検出できます。例えばPheno.AIが開発したGluFormerは、従来のHbA1c検査では捉えられないベースラインの変化を検出することで、糖尿病予備軍を最大12年前に特定予測することができます3。人口規模コホートが「誰が病気になる可能性があるか」を示すのに対し、深層フェノタイピングは「いつ、なぜ個人が健康から疾患へと移行し始めているのか」を明らかにします。

トレードオフ:統計的検出力 vs 生物学的解像度

これら2つの設計の選択には、資源と目的における明確なトレードオフがあります。

  1. コストと複雑性:人口規模コホートは、その圧倒的な規模と、何百万人もの参加者を管理するという運用上の難しさによって高コストになります。深層フェノタイピングは、複雑な分子解析に伴う参加者一人あたりのコストが高いため高コストとなります。
  2. 広範な関連性 vs 生物学的解像度:大規模コホートは、多様な集団において疾患と何が関連しているかを特定するのに適しています。一方、深層コホートは、そうした疾患が個人の中でどのように発症・進行するのかを探るために必要な高解像度データを提供し、一般的な関連性の把握から生物学的アウトカムのシミュレーションへと移行することを可能にします。
  3. 周期的スナップショット vs 連続モニタリング:両モデルはいずれも縦断的ですが、人口規模研究はしばしば医療履歴に基づく周期的な臨床スナップショットに依存することがよくあります。一方、深層フェノタイピングはウェアラブル機器による連続的モニタリングを取り入れ、実際の日常生活の動的な変動を捉えます。

補完的なエコシステムの設計

HPP Global 2026から得られた知見は、どちらか一方のモデルを選ぶべきではないということです。むしろ、これからのヘルスケアには両方のアプローチが必要であり、それぞれが互いの限界を補完し合うように、異なるコホート戦略を組み合わせることが重要です。

人口規模コホートは、社会の中に存在する高リスク群を特定します。一方、深層フェノタイピングコホートは、そのリスクを個人の中で引き起こす具体的な生物学的イベントに焦点を当てることを可能にします。

この2つのモデルを統合することで、単なる統計的関連性を超え、未来の疾患をシミュレーションし予防できるような「健康知能」のシステムへと近づいていきます。

千々岩 樹佳

Corundum Systems Biologyにおいて科学技術専門家として勤務するアソシエイトであり、ライフサイエンス研究とイノベーション戦略の交差領域で活動しています。専門分野は微生物学およびシングルセルゲノミクスにわたり、早稲田大学およびボン大学で工学博士号を取得しています。

参考文献

  1. Chen XM, Zhang K, Zhou HY, Gao Y, Liu X, Xu S, Jin S, Sun Z, Yin Y, Zhang J, et al. A full life cycle biological clock based on routine clinical data and its impact in health and diseases. Nature Medicine 31:4225–4235, 2025.
  2. Martin AR, Gignoux CR, Walters RK, Wojcik GL, Neale BM, Gravel S, Daly MJ, Bustamante CD, Kenny EE. Human demographic history impacts genetic risk prediction across diverse populations. American Journal of Human Genetics 100(4):635–649, 2017.
  3. Lutsker G, Sapir G, Shilo S, Merino J, Godneva A, Greenfield JR, Samocha-Bonet D, Dhir R, Gude F, Mannor S, Meirom E, Xing EP, Chechik G, Rossman H, Segal E. A foundation model for continuous glucose monitoring data. Nature 637:347–354, 2026.

安井さくら(インターン生)・千々岩 訳